明確な機関間対立

現実には、首長選挙のときの支持不支持を反映して事実上の与野党関係が行われており、事実上の安定多数与党の存在が首長対議会工作において重要な意味をもっていることも否定できません。


・・・しかし、もともと二元的代表制に基づく機関間対立主義をとっているため、たまたま首長の政党的支持基盤と議会多数派との政党色が異なる場合には・・・


「少数与党」の首長が議会承認人事や予算審議等で苦境に立つことがみられます。


しかし、こうした事実上の与野党関係の存在にもかかわらず、首長は、住民の代表機関として、内閣に比べてはるかに議会に対して距離をおき、ときに超然とした立場をとることができます。


それゆえ、この首長の政治的姿勢がこれを補佐する職員機構に大きな影響を及ぼすことになるといってよいでしょう。


しばしば首長が、二党一派に偏しない県民党(ないし市民党)的立場Lを表明するのも、党派に分かれて競い合う議会に対して自らの独自性を打ち出そうとする意図の現れとも解釈することができます。


次は意思決定の自律性にみられる相違です。

さまざまな色の歴史 12

地球上のさまざまな場所で、それぞれの土地に住む人たちの間で自然発生的に生まれた色を表す言葉は、その後周辺文化との接触によって相互に影響を与えあいながら、だんだん複雑な色のちがいを表す意味範疇の体系を形成していったと想像すると興味は尽きません。


西欧文化圏の色名は古代ギリシャ.ローマ文明、古ゲルマン系の言語などに由来する他に、ペルシャ、アラブやさらに東方に起源をもつ色名もあるといわれます。


日本語の色名も、中国をはじめアジア文化圏からの影響を蒙りながら進化、発達を遂げたことは疑いないものです。


しかも、それぞれの文化は、それぞれ独自の風土、風俗に根ざす固有の色や色名についての実感を保ち続けているのです。


世界中で、それこそ好き勝手に、偶然に命名されたようにみえる色名にも、なにかの普遍的、通文化的法則性があり、すべての言語における色名は、そのような普遍的体系を共有しているという仮説が発表されるようになりました。


これというのも、最近の新しい世界観、人間観にもとつくものにちがいないでしょう。


もはや地球上には、孤立的な文化も孤独で閉鎖的な言語も存在しなくなりつつあるのです。


色名の研究もだんだん地球規模になろうとしているのです。


それでも、まだ固有文化の特徴は依然として消えることはありません。


そして色名はやはり色名であり、あくまで色は色なのです。


しかも色は文化の産物であり、結局色名はその視覚体験の呼称にすぎないという事実はこれからも変わりはないのです。

さまざまな色の歴史 11

日本人の先祖は、わずかな色の違いにも丹念に固有の色名を創作しました。


しかし、ある範囲の色系統を代表するような抽象的な基本色名を創作することは不得手だったようです。


個別的、具体的な認知の能力は優れていますが、包括的、体系的な認識を苦手としてきた民族的傾向は現在もあまり変わりません。


いずれにしても、色を系統的に分類するには、日本語の基本色名体系はあまり都合よくはできていないということが、この改訂モデルを見ても実感されます。


ケイとマグダニエルは、これらの複合範疇、派生範疇のそれぞれに、各種言語の調査研究を引用して例を示しています。


また、白と黒から派生した「グレー」は、三段階以後のより早い段階で生じる可能性があることも示しています。


メルツ&ポールのような英語の色名辞典類は、グレーはもっとも古い時代から存在した色名とされている場合があるのです。


そういえば、日本語の紫も、もっと前の段階にあってもいいような古い権威を表す色名といえましょう。


このように、わたしたちがなじんでいる日本語の基本色名をこのモデルに当てはめてみると、まだ細部については若干の疑問は残るにしても、バーリンとケイの基本色彩語モデルよりは、はるかにこちらの方が説得力があります。


さまざまな色の歴史 10

第五段階の主要基本範疇をもつようになると、次にはさらに細かく色のちがいを呼び分ける派生範疇が生まれます。


第六段階では黄に黒が加わる黄系の暗色に対して、「ブラウン」という基本色名が派生します。


わが国では室町時代から茶を飲む風習が広がり、その茶の葉による染色、茶染めの色やその同系の色を「茶色」と呼ぶようになりました。


江戸時代に四十八茶といわれるような茶の色名の大量発生と大流行を見るようになりますが、同種の色に着色できる染色はもっと古くからあったのです。


にもかかわらず、この範疇には遂に基本色名らしい色名が定着するにはいたりませんでした。


茶系の固有色名、慣用色名の数と種類がいたずらに増えただけだったのです。


同じことは、第七段階で派生する「ピンク」や「グレー」についてもいえます。


赤の明色、淡色を代表するピンクに相当する日本語の基本色名はついに生まれず、桃色、とき色、桜色などの慣用色名の種類がたくさんできただけでした。


「オレンジ」に相当する橙も基本色名として認知されないまま、常用漢字からも消えてしまっています。


派生範疇のなかで、日本語の基本色名といってさしつかえないのは「パープル」の紫くらいのものでしょう。


さまざまな色の歴史 9

第五段階では、緑と青の範疇だけが未分化のまま残っています。


日本や中国の詩文などでは緑色をしばしば青いと形容してしまいますし、現在まで私たちの生活の中の言葉づかいとしても、緑まで青という色名で代表してしまう習慣が残っています。


日本人が緑と青を区別できなかったわけではなく「延喜式」などでは、ちゃんと緑や青緑などが独立した色名として使われています。


また、「万葉集」にも緑という色名が出てくる歌があります。


ただ緑と青を一括する複合範疇の名残りが、習慣としてずっと続いているということなのかもしれません。河成鎮次氏によると、大相撲の土俵の四隈から下っている房の色も、東を表す青房の色は実際には緑色であることを、テレビ桟敷の視聴者でもよく知っています。


しかし、アナウンサーがそれを青房ということに物言いをつける人はいません。


このような習慣は、別に日本語だけの特殊現象ではなく、かなり多くの言語が同様の傾向をもっているといわれています。

さまざまな色の歴史 8

2つしか基本色彩語のないもっとも原初的な第一段階では、ダニ族のように、白・明色(W)と暖色系(RとYで代表されています)が代表されてひとつの意味範疇となっています。


もうひとつは黒に代表される暗色と寒色系の複合範疇になります。


バーリンとケイのモデルでは、白と黒の次の三番目の色名は、かならず赤を意味する言葉になるとされていましたが、この改訂モデルでは、第ニ段階は白に代表される明色と、赤・黄で表される暖色系の範疇が分化されて三つの意籍疇をもつことを示しています。


第三段階は、暗色―寒色系の馨罐から黒(kB)が分化される場合と、暖色系の中の赤系と、黄系がそれぞれ独立した意味をもつようになる揚合の二通りが仮定されています。


日本語のもっとも古い色名は、「しろ・くろ・あか・あお」の4つだったといわれます。


バーリンとケイのモデルでは、「あお」が出てくるのは第五段階になっていましたから、これでは「古事記」や「日本書紀」に出てくる色名を説明することはできなかったわけです。

さまざまな色の歴史 7

デ・ヴァロワの実験は、人間とよく似た色覚をもつといわれる旧世界猿の水平細胞から微少電流を検出し、分析したものです。


この6種類の基本主要色は、まだ言葉をおぼえる以前の人間の幼児でも、それぞれのちがいを区別することができるといわれる組み合わせです。


つまり、白、黒、赤、緑、黄、青の6つの主要色に対する感覚こそ、通文化的意味範疇の基本と考えることができるというのです。


いささか説明が煩雑になったので、余計な注釈は切りあげて、ケイとマクダニエルの改訂モデルを見てみることにしましょう。


この基本色彩範疇は、人間の六つの奏色彩知覚にもとづくものです。


それらが英語の基本色名の頭文字、または頭文字と小文字の組み合わせで示されています。


この第五段階にあたるのが、基本色彩範疇です。


白(W)、赤(R)、黄(Y)、緑(G)、責(Bu)、黒(Bk)と記されています。


この段階は、次の4通りの複合範疇の基礎です。


そのひとつは明色―暖色の範疇、次は暗色―寒色。


残りは暖色全体の範疇と寒色系の範疇です。

さまざまな色の歴史 6

もうひとつ、ドイツの生理学者E.ヘリングの反対色説という仮説があります。


これは、白と黒、赤と緑、黄と青というような正反対の組み合わせの刺激にそれぞれ対応すると考えられる基本色彩知覚の存在を想定したものでした。


この仮説の妥当性も認められるような事実があるので、このような色覚の仕組みは網膜の視細胞レベルよりもっと奥の神経細胞レベルにあるにちがいない、と考えられていました。


こちらの仮定も、その後の電気神経生理学的実験によって、その存在が認められることになりました。


ケイとマクダニエルは、R・デ・ヴァロワらによって報告された実験結果などを引用して、この3組の反対色の組み合わせを構成する白、黒、赤、緑、黄、青の6種類の基本色彩知覚を、色の意味範晴の普遍的なものと考えることにしたのです。

さまざまな色の歴史 5

わたしたちは、複数の色の違いを識別することができます。


しかし、人間の視覚器官には、それらの無数の刺激に対応するだけの無数の受信装置があるはずはありません。


おそらくいくつかの基本的受容器があって、それらの反応の組み合わせで、無数の変化をもつ刺激を分析し、解読しているにちがいないと仮定されてきたのです。


それを説明できるような色覚モデルが19世紀以来考えられてきました。


そのひとつはヤングーヘルムホルツの三色説といわれるものです。


現在では人間の網膜にある氏細胞のうち、主に色を感知する錐体細胞に、もっぱら赤い光に感じる赤錐体、緑に反応する緑錐体。


それに青の感覚に関係する青錐体の三種類があることが推定されるので、その仮説モデルはほぼ承認されるようになりました。


ごみ処理協力

ごみの有料制をめぐっては、いまだにいろいろ論議が行われています。


ごみ処理にはいかに莫大な費用がかかっているか・・・


この点をリサイクルトナーのように住民に広くPRしようとする努力はこれまでもなされてきました。


1トン当たりのごみ処理費が東京ではすでに4万3000円、1人当たりの年負担が年2万3000円余り、4人家族で10万円にも達していること。


また、清掃工場の建設費は土地代を除いても100~200億円という巨費を要することなどがその内容です。


住民のコスト意識が強まればごみ問題への関心につながるというのは、間違いないと思うのですが、このことを実証して見せている好例が大阪府八尾市です。


八尾市(人口約28万人)は、かつて大阪市との合併が予定されていたこともあって、公営バスや老人ホームなどの分野で行政協力の仕組みがつくられてきました。


しかし、ごみ処理においても例外ではなかったのです。


1964年に「大阪市・八尾市ごみ共同焼却処理に関する覚書」が交換されました。


その後、両市の合併話はご破算になっていますが「覚書」は生きていて、八尾市の可燃ごみは自市内にある他市の焼却施設に持ち込むという、珍しい仕組みになっています。


なお、「覚書」では触れられていませんが、八尾工場に持ち込まれる八尾市のごみは、もちろんタダではなく、八尾市が大阪市に焼却処理料金(残灰の処分費をも含む)を支払って処理されています。


その額は当時、トン当たり1万4900円でした。